どうもです。
秋田ブロガー・ライター・YouTuberの
じゃんごブログ編集長です。
今回は誰も興味が湧かないだろうけど、
僕のライバルについて書いていきます。
僕にとってのライバル
僕にとってライバルとは、
ポケモンでいう「シゲル」
ナルトでいう「サスケ」
ドラゴンボールでいう「ベジータ」
のように、お互いのスキルや心身を高めあえる存在です。
考えてみると、僕の人生で「ライバル」が存在しなかったことは一度もありません。
ライバルがいたから、
ここまでこれたんだと思ってます。
例えば、小学生の頃。
僕は小学校3年生から野球部に入部しますが、同級生数名も同じ時期に入部します。ポジション争いになれば「コイツより上手くなるんだ!」と誰よりも真剣になってレギュラーにこだわっていたし、野球は高校まで続けたけど、ずっと誰かしらを「ライバル」と設定して続けました。
好きな女の子ができた時もそう。
僕は「周りの男子」をライバルとして設定して、どの男子よりも格好よく、かつクールでいようと必死でした。結局その恋が実ったか実らなかったか、よくわからないけど。
でも「アイツより格好よくいたい」とか「アイツよりも魅力的でありたい」っていう想いは、今振り返ってみても強かったと思う。
僕はそんな感じで、常にライバルがいる状況を作り出すのが得意でした。
それはブロガーになっても、
ライターになっても、
YouTuberになっても同じ。
たまたまネットサーフィンで見つけた「気持ちの良い文章を書く人」を見つければ、その人がいつの間にかライバルになってるし、「クールな動画や楽しい企画を生み出した人」を見つければ、もうそれを生み出した人は自動的にライバルと設定します。
だから僕には、
ライバルがたくさんいます。
勝手にライバル作っちゃうから「自分のスキルや心身を高めることができる存在」「目標としている人」というほうが正解かも。
自分の高め方は、一方的なライバル視。
ライバル間の勝ち負け
僕は勝手にライバルをつくりだすのが得意です。
そして、そのライバルには
絶対負けたくない。
って思っちゃう人なんです。
たぶんみんなが思っているより相当、「勝ち負けにこだわる人」だと思ってます。
ライバルが目立っていたり、華やかそうにしていると「マジで負けたくない!」って思います。SNSとか見てるとね。
そして、モーレツな嫉妬の始まります。
だけれど「嫉妬」は悪いことと捉えてなくて、むしろいい波が来てる~くらいに感じている自分がいます。
僕が嫉妬をすると「オメェにはぜってぇ~負けねぇかんな!!」と、悟空並みの闘争心が沸き上がるし、行動も大胆かつ積極的になれる。
いわゆる「嫉妬」は、ガソリン的な役割を果たしてくれるんです。「嫉妬」で僕の何割か構成されていると思います(笑)
僕にとって「嫉妬」はレッドブルやモンスターよりも効き目があるんです。
だいたい勝ってきたけど、一人だけ勝てないヤツがいる。
▲イメージだよ。
一方的に決めつけたライバルに「勝つこと」は、自分のさじ加減でなんとかなるのですが(だいたい「勝ち」にして成功体験を積む。設定もそんなに高くない)、
一人だけ、勝てない人がいるんです。
それは
同級生の美人です。
高校から大学まで一緒だった、
同じB型の女の子。
同級生の筈なのに、
頭一つ抜きんでてる感。
追いつけない感。
外見も性格もスキルも全部。
いつも僕のライバルって「会社内でのライバル」とか「文章のライバル」のように設定できていました。
だけど同級生の美人は、
「〇〇のライバル」と設定することができません。たぶん「何かしらのライバル」と脳内で設定しているのだろうけど、それが何かわからない…強いて言えば、人生のライバル?…
…こんな風に、普段考えなくてもいいようなことを考えていると、次第に同級生の美人をリスペクトする気持ちが芽生えてきました。
まさしく「がんばれカカロット…お前がナンバーワンだ!!!」って、ライバル関係である悟空をたたえるように。
なんか、勝てないんです。
勝ちたいのに。
…僕が会社を辞めてブロガーとして活動した時、その同級生と連絡する機会がありました。
彼女から
「顔出しすごいね!」
「応援するわ!」
と激励をいただいた後、即座に僕は「あなたがいたから出来たんだ」と返信していました。その言葉には「はやく追いつくし、ぜってぇ~負けねぇ!」というメッセージをそっと忍ばせた自分がいるくらいだから、やっぱりまだライバル視しているんだなぁ~って勝手に思ったり。
たぶんこれからずっと
僕はベジータで、あなたが悟空なんだと思う。
勝手にライバルに意識して
嫉妬して、
追いつこうとして、
強くなって、
それでもきっと足りなくて。
そんな自分も結構好き。
みてろよカカロット!