【神イベ】二ツ井の「恋文コンテスト」はなんで無くなったの?

どうもです。

日々、じゃんごブログをご賢覧頂き誠にありがとうございます。

なんと言葉にして良いか。ありきたりですが、感謝の気持ちでいっぱいです。愛してます。

 

 

「愛してます」と赤裸々に綴ってしまった原因はコチラ。

日本一心のこもった恋文』を入手してしまったからです!

 

『日本一心のこもった恋文』とは?


日本初の恋文コンクール入選作。中学生から80歳まで、人を愛することに差はない。思いのたけを打ち明けた短い手紙に、純真な心が溢れて、読者の感動を呼ぶ手紙集。

この本が発売されるきっかけとなったイベントがあります。

恋文コンテスト(二ツ井町)の本

恋文コンテストとは?

「恋文復権」を願って1994年から2004年まで開催された秋田県二ツ井町の町興しイベント。

1881年(明治14年)明治天皇の東北地方巡幸の際に、皇后からの手紙が、現在の県立自然公園「きみまち阪」で天皇が到着するのを待っていた、というエピソードに基づいている。手紙には「大宮の内にありても暑き日を いかなる山か君は越ゆらむ」と書かれていた。

この二ツ井で行われていた「恋文コンテスト」の入賞作がまとめられたものが「日本一心のこっもった恋文(本)」なのです。

ちなみにこの本、第1回目の入賞作が綴られていて、発行日が1995年。私が2歳の時に発行された本です。

 

のどから手が出る程欲しかった。

恋文コンテストの入賞作品は能代市HPでも見ることができます。ネットでいくつか作品をみたのですが、第1回の最優秀賞作品は震えました。

ご紹介いたします。

<きみまち恋文大賞>
「天国のあなたへ」

柳原タケ

秋田県・80・無職

娘を背に日の丸の小旗をふって、あなたを見送ってから、もう半世紀がすぎてしまいました。たくましいあなたの腕に抱かれたのは、ほんのつかの間でした。

32歳で英霊となって天国に行ってしまったあなたは、今どうしていますか。

私も宇宙船に乗ってあなたのおそばに行きたい。あなたは32歳の青年、私は傘寿を迎える年です。おそばに行った時、おまえはどこの人だなんて言わないでね。よく来たと言って、あの頃のように寄り添って座らせて下さいね。
お逢いしたら娘夫婦のこと、孫のこと、また、すぎし日のあれこれを話し、思いっきり、甘えてみたい。あなたは優しく、そうかそうかとうなずきながら、慰め、よくがんばったねと、ほめて下さいね。

そして、そちらの「きみまち坂」につれて行ってもらいたい。春のあでやかな桜花、夏、なまめかしい新緑、秋、ようえんなもみじ、冬、清らかな雪模様など、四季のうつろいの中を二人手をつないで歩いてみたい。

私はお別れしてからずっと、あなたを思いつづけ、愛情を支えにして生きて参りました。もう一度あなたの腕に抱かれ、ねむりたいものです。力いっぱい抱きしめて絶対はなさないで下さいね。

*主人は昭和14年9月に中国山西省で戦死しました。当時の軍事郵便は検閲されました。今回そのころ自由に書けなかった思いの万分の一を書きました。すっきりして若返ったような気持ちです。

 

…どうですか?

私は涙が止まらなかったです。

 

気持ちをストレートに表現できる、映画のような恋文(文章)は他にあるでしょうか?

この作品は【究極の純愛「80歳の恋文」が泣けるとtwitterで広まっている・・・(NAVERまとめ)】という風に、ネットでも拡散されています。

こんなに素晴らしい恋文が詰まっている本を買わない理由はありません。(二ツ井が舞台だし誇らしい)




恋文コンテストはもうやっていない!


全国から恋文を募る「恋文コンテスト」は、2004年まで行われていました。しかも、舞台は二ツ井

現在二ツ井町では「きみまち阪フォトコンテスト」が開催中。心温まる神イベを残さないなんてもったいない!と思ってます。今やペンをとらずとも恋文は書けてしまう時代だから、応募もしやすい。各地方で溢れてかえっている「フォトコンテスト」より「恋文コンテスト」のほうが、二ツ井の素敵な部分を宣伝できるコンテンツじゃないかと…。

とにかく、「恋文コンテスト」に私は感動を覚えています!!!(今まで「恋文コンテスト」の存在を知りませんでした…不覚!)

能代市二ツ井町のきみまち坂の公園内には、恋の願いが叶うといわれる恋文神社や恋文ポストハート型のきみまちの鐘、きみ恋カフェがあるみたい。

今回は、二ツ井でこんなイベント(本)あったんだ!と発見したので書きました。

 

 

「恋文コンテスト」の

復活を願っています!

 


▲恋文ポスト(by.sより)

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