今回は大仙市地域おこし協力隊の小川賢さん、伊藤貴輝さん、狩野智美さんにお話を伺ってきました。
「地域おこし協力隊って何してるの?」
「どんな人がやってるの?」
「なぜ大仙市に来たの?」
…というような、じゃんごブログでしか聞けないディープな話を大ボリュームでお届けします!
大仙市地域おこし協力隊のリアルがたくさん聞けました。
ホームタウンだから
夏休みなどの機会に秋田へ帰省していたのですが、秋田の雰囲気がゲームの「ぼくのなつやすみ」みたいで…いいなぁ~って。
それからCM制作関連の会社でMA(マルチオーディオ)の仕事をしました。 ある程度技術を身に着けて、「いつか秋田に住んで、独立してこのスキルを活かしたい!」っていう想いがありました。 そんなとき、秋田県の地域おこし協力隊を探していたんです。 その中で自分のスキルや経験を活かせるのは大仙市の協力隊かなと思い、決めた感じです。 「大曲の花火」を見たことがあり、知っているまちということもありました。
「秋田」にこだわる理由はどこにあったんですか?
旅行が好きで、北海道や沖縄などにも行くのですが、自分のホームタウンとして住むのならやっぱり秋田ですね。
小川賢(32) <個人での活動内容>
秋田県藤里町出身(5歳まで)
東京都荒川区(31歳まで)
大仙市は「毎月花火があがるまち」
そこで日本から来てる方とのつながりができ、日本各地に興味を抱くようになりました。 秋田に来る前までは広島でアルバイトなどをしていたのですが、地元(埼玉)に帰ったときに「さすがに就職してみない?」って親に言われて(笑) 就職先も地元とは違う、別の場所がいいなって思っていました。 けど、決まった仕事に就きたくない!という意志が強く、その中でみつけた「大仙市地域おこし協力隊」が魅力的だなって。 「毎月花火があがるまち」という、うたい文句にも魅力を感じてしまいました(笑)
伊藤貴輝(24) <個人での活動内容>
埼玉県新座市出身
西仙北のチラシ「にしせんかわら版」に寄稿
群馬県から大仙市へ
ですが、満員電車に耐えられなくて3ヶ月で辞めて、地元の群馬県に帰りました。 その時から【社会への疑問】を抱えていました。
営業職でしたが「嫌だ」っていう感覚も抱いていました。 批判はいくらでもできるけど、批判じゃなくてつくるほう…どういう生活をしていくかっていうところで、自給自足的なもの、小さいビジネスをつくりたいという考え方にシフトしていったんです。
そのあとは栃木県の那須で、自給自足を実践するプロジェクトに参加しました。田んぼやったり、畑やったり、家建てたり、太陽光パネルつけたり…。
で、その後は私もワーキングホリデー行こうかなと考えたのですが、北への憧れがすごくあって。北部への! 最初はノルウェーに行くことを考えてたんです。雪が降ると、手を使う文化があるから。 でも全国各地を旅してたら、「やっぱり日本にいたほうがいいかな~」って思い、ノルウェー行くのはやめました(笑) あわせて就職先を探していたとき「地域おこし協力隊」を見つけました。 その頃、大仙市が募集していた地域おこし協力隊は【フリーミッション】に近い内容だったので、応募させてもらいました。
「北東北の各エリアにアクセスしやすい」というのと「雪へのあこがれ」があったので、それに合うのが大仙市でした。
狩野智美(31) <個人での活動内容>
群馬県渋川市出身
【草木染め×ピクニック】のワークショップ
【坐禅 × 出汁研究】のワークショップ
【野良着 ふんどし 】づくりワークショップ など
大仙市文化財保護課年間計画のポスター、移住者向け相談会のチラシ、大仙市魅力体験住宅「youkoso」チラシ、ふるさと納税返礼品紹介のチラシ、無料職業紹介所のチラシ、など
飛び込む勇気
実際、どちらが良いのかなんとも言えないですね
大仙市は「都会」
冬場の運転に苦労しました。
秋田の雪…初見殺しですね(笑)
だって1時間で群馬~埼玉行けるから、その感覚でいくと秋田市は県外(笑)
よそ者の「度合い」
人見知りが多い印象ですけど、受け入れてくれるあたたかさを感じました。
「よそ者」だからこそ感じることってありますか?
みんなでつくるときも「本当に仲間に入れてるのかな」って思ったりしちゃいます。
地域の方たちが見知らぬコッチ側に話しかけることってまずないじゃないですか。でも自分たちから話しかければ、そんなに突き放す人はいないと感じています。 地域の方とのコミュニケーションで大切なのは、地域にくる人・よそ者から始まるんじゃないかな~って思います。ウェルカムになるかどうかは、来る人次第。
自分から行動して関係を構築して…って考え方。多分、「できないよそ者」もいると思うんです。 だから僕は「もう少し協力的な秋田であったらな~」って想う部分もあります。
の3層あると考えてみます。 私たちが声をかければ受け入れてくれると思います。2層目までは。 3層目になると「この人『よそ者』だから…」っていう意識が働いちゃうと思うんですね。 引っ越してきて、その集落の一員になったとします。そこで自分からアクションを起こさない…そうなると「アイツよそ者だからな~」って避けられる想像はなんとなくできます。 でも実際、私たちがいきなり取材に行っても、踏み込めるのは2層目まで。だから受け入れられているんだと思っています。
協力するのは僕たちだけじゃないと思う
自分は苦悩の毎日ですね(笑)
どうしたら地域に人が来るか、どうしたら魅力を発信できるかなど、「どうしたら」の毎日です。 また、自分たちは「まちおこし」が仕事なのですが 、地域の方は本業に+α で「まちおこし」なので、協力をしていただける方も多くはなく苦悩しています。
もし僕がまちおこしイベント開いても、協力者はほとんどいないと思う。 そこには家族があって、子供もいて、仕事があって…ぶっちゃけ「手一杯」と感じているんじゃないかって。あと「面倒くさい」とか。 「自分の暮らしがよければいい」って考え方もわかりますけどね。
秋田は人口不足で、若者流出でヤバイ!みたいになってますけど、正直、危機感を抱かない・抱けない現状じゃないですか。意外と成立しているから。 だから「あ、もう本当にヤバイな…」っていう日が来るまで協力者は現れないよな、って。
大きく地域の環境をつくる事業(建築デザインなど)は影響力があると思うんですけど、私は「文化をつくっていけばいいんだ」と考えています。 やりたいこととか、これがいい!と思うこととか。 そういうことをやって人が集まればそれでいい…ちょっと無責任な発言になりますが、それで元気にならなかったらそういうものだな、という気がして。 「人が本当に元気になる」 「本当に気持ちいい」 そうなるためには何がしたい? ってことだけでいい気がします。 だから、自分の好きなことやろう!って思っています。 そうじゃないと自分も疲れるし、なんかエネルギーを摩耗した感じになっちゃうから。
「何か」に応える協力隊
きっかけは伊藤隊員が持ってきた話からです。
「撮影で来てくれないか?」という依頼があってそこから話が弾んで「なんかやれ!」ってなったんですよ(笑) 自分ひとりじゃ荷が重いので、みなさんに協力を仰いで3人で演奏したのがはじまりですね。
最後に
「地域おこし協力隊」という言葉を知ったのは、僕が高校生のとき。
不活性なまちを元気にするヒーローのような存在だと、当時の僕はそう思っていました。
…ぶっちゃけ、今でもそう思っています。
特別な「何か」を期待してしまいます。
様々な問題を抱える秋田県を、元気のないまちを、僕たちの知らない技と知識で助けてくれるんじゃないかって。
こうして考えると、地域おこし協力隊の方々ってすごくないですか?
だって知らないまちに飛び込んで、嫌な顔ひとつせずにまちをよくしようとしてるんですよ?
僕がこれまでお会いしたことのある県内の地域おこし協力隊の方は、とても優しくて、勇気のある人たちばかり…本当にヒーローだと思っています。
ヒーローたちの想いや活動を知ることで、僕たちも❝”協力❞できる部分がきっとあるはずです。
いつだって協力しあえる存在でありたい。
そう思えた取材でした。
「元気をわけてくれ!」と叫ぶなら、
僕はすぐさま駆けつけよう。