アイデアが浮かぶのは、いつも風呂。
ブログをやろうと決めた日も、
秋田で生きようと決めた日も、
友達の誕生日サプライズを思いつくのも風呂だった。
僕は今、風呂に入っている。
今日も秋田について、
自分のこれからについて、
いろいろと考えている。
シャワーを浴びた時、こんなことに気がついた。
いつから秋田の景色を
好きになったんだろう
って。
秀麗無比なる鳥海山、狂乱吼えたつ男鹿半島…
いつから好きになったのだろう。
ギャンブルで儲ける
僕はギャンブルをしたことがありません。
理由はひとつ、
興味が無いから。
野球に明け暮れていた高校時代。
ガラケーの小さな画面に喰いついてパチスロアプリをいじってみても、龍が如くのギャンブルスポットで遊んでみても、まったく興味を抱きませんでした。
本当に面白さが理解できなかった。
最初から、ゲームでもリアルでも「絶対儲けることはできない」と見切りをつけていたのかもしれません。
小学生のころまで、「夏休み」や「冬休み」などのロング休みがあると、家族でよく旅行に出かけていました。
そんなに遠くまでは行かなかったけど、秋田県内の観光地にたくさん行けた。
すごく大切な想い出です。
旅行当日は、夕食が喉を通らないくらいワクワクして、楽しくて仕方なかった。
だけどその、「大切な想い出」のなかには
秋田の景色は存在していません。
僕にとって秋田の景色はギャンブルに近い存在だったのかもしれません。
冷凍ブタ肉を切った夜
山形市にある東北芸術工科大学へ進学しました。
はじめての一人暮らし。
6.5畳くらいしかないアパートが「自分専用の秘密基地」のように思えて、すごく高ぶったのを覚えています。
大学生活に慣れたころ、
僕はバイトを始めます。
山形市では有名なラーメン屋。
山形訛りの頑固店長と、店長の奥さんが経営している、アットホームなラーメン屋。
「継続スキル」をそのころから持ち合わせていた僕は、そのバイトを約3年間続けました。
「将来どうする?家族の人たち心配してるべ?」
上等な冷凍ブタ肉を切らせてもらえるくらい成長した僕に、店長が言いました。
「わがらねっす~」って返答したけど、その言葉を聞いたあの夜から、なんとなく秋田のことを考え始めたような気がします。
元カノに執着しているダメ男
大都会・東京の映像制作会社へインターンシップ。
刺激的でした。
映画や編集が好きだったから覗いてみただけなのに…みんなガチ。
まわりの情熱に負け、「履歴書を書く」という打席に立とうともしませんでした。
「本当に好きなもので勝負したい」
近いようで遠い山形で、秋田のことを追想します…
家族や、友だちとの想い出を…
…夜の外出に高揚した、角館の桜。
毎年、特等席で見ていた大曲の花火。
父さんが収穫した、黄金色に輝く稲穂。
じっちゃん、ばっちゃんと行った犬っこ祭り…
…思い返した「大切な想い出」には四季折々の景観美、秋田の景色がなければ成立していなかったことに気がつきました。
秋田の景色は、ギャンブルと似た興味がないものでなく、最も自分に身近な存在…
僕にとって秋田の景色は家族のようなものだと。
いなくなってから気づく…
まるで、元カノに執着しているダメ男のような気分になりながら、「秋田の景色が好きだった」と実感した22歳のことでした。
たとえVRでも…
リクルートスーツを着ていたころ、
秋田の問題は山積みでした。
人口が100万人を切ったニュースが丁度このころ。
人口減少・高齢社会・若者流出…「限界集落」という言葉が流行したのも、このころ。
秋田には
問題が山のようにある。
秋田には
僕を愛してくれた家族がいる。
秋田には
素敵な友達がいる。
そして、どんなに解像度がいいモニターでも表現することのできない美しい景色が、秋田にはある。
たとえ4Kでも8KでもVRでも、
肉眼で見る秋田の景色には敵わない。
そんな想いを抱きながら、今ではパソコンと向き合ってブログを書いたり、ときには動画編集をしたり、いろいろな生き方を秋田で楽しんでいます。
…こんなに長く書いたけど、言いたいことは「歳をとったら秋田の景色が好きになったよ!秋田の景色って最高だよねぇ~!!」っていうこと。
「秋田?は?なんにも無いじゃんwww」とか言っている人も、「酒でもセロリでも歳をとったらわかる」みたいな感じで、この先秋田の魅力を体感するかもよっ!
以上。
今日の風呂場より。
離れて分かる故郷のよさ。
激しく同意です。